東京モノレールと首都高速道路 | 写真展 東京の半世紀 -定点観測者としての通信社- 主催|公益財団法人 新聞通信調査会

Photos from post-war Japan found around the web and taken by myself when in Japan.

品川写真館 五反田駅前パノラマ 手前、子供を連れ通りを渡ろうとする女性 1954年(昭和29年) 東五反田1丁目

品川写真館 五反田駅前パノラマ 手前、子供を連れ通りを渡ろうとする女性 1954年(昭和29年) 東五反田1丁目

鶴川駅を望む(1970年・昭和45年) 小川洸 能ヶ谷と鶴川「いま・むかし」

鶴川駅を望む(1970年・昭和45年) 小川洸 能ヶ谷と鶴川「いま・むかし」

国分寺駅北口 1975. 3        国分寺駅北口 中央線国分寺駅の北口です。今は大きなビルになって、この辺りはタクシー乗り場になっています。でも変わったのは駅の直前だけ。商店街の再開発は遅々として進みません。

国分寺駅北口 1975. 3 国分寺駅北口 中央線国分寺駅の北口です。今は大きなビルになって、この辺りはタクシー乗り場になっています。でも変わったのは駅の直前だけ。商店街の再開発は遅々として進みません。

築地・月島 - ぼくの近代建築コレクション

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多摩ニュータウン 歴史資料館 - Google 検索

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首都高開通 - Google 検索

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昭和毎日:池田信『1960年代の東京』 神田川。日本橋川との分流点。小石川橋から後楽橋を見る。川の右側は千代田区。左側は文京区。右手は収集したゴミを処理施設に運ぶために設置された船舶中継所。神田川は飯田橋付近から中央線に沿って、水道橋駅・御茶ノ水駅の北側を流れ、浅草橋駅の東で隅田川と合流する。神田川の前身は平川と呼ばれ、中世までは飯田橋から一ツ橋を経て、大手町付近から日比谷入江と呼ばれた海に注いでいた。江戸時代の1620年、神田山・神田台を開削する大規模工事を行い、それまでの流路を東向きに変えたのが神田川で、またその土砂で日比谷入江を埋立て市街地を造成した。小石川橋付近から九段堀留までの平川の旧水路は埋立てられたが、1900年になって現在のような流路に復活され、外濠川と呼ばれた。日本橋川と改称されたのは東京オリンピックのあった1964年になってから=東京都千代田区神田三崎町2丁目(後の三崎町3丁目)付近で 1962年(昭和37年)6月1日、池田信(いけだあきら)さん撮影 毎日新聞社刊「1960年代の東京」158―159ページ掲載

昭和毎日:池田信『1960年代の東京』 神田川。日本橋川との分流点。小石川橋から後楽橋を見る。川の右側は千代田区。左側は文京区。右手は収集したゴミを処理施設に運ぶために設置された船舶中継所。神田川は飯田橋付近から中央線に沿って、水道橋駅・御茶ノ水駅の北側を流れ、浅草橋駅の東で隅田川と合流する。神田川の前身は平川と呼ばれ、中世までは飯田橋から一ツ橋を経て、大手町付近から日比谷入江と呼ばれた海に注いでいた。江戸時代の1620年、神田山・神田台を開削する大規模工事を行い、それまでの流路を東向きに変えたのが神田川で、またその土砂で日比谷入江を埋立て市街地を造成した。小石川橋付近から九段堀留までの平川の旧水路は埋立てられたが、1900年になって現在のような流路に復活され、外濠川と呼ばれた。日本橋川と改称されたのは東京オリンピックのあった1964年になってから=東京都千代田区神田三崎町2丁目(後の三崎町3丁目)付近で 1962年(昭和37年)6月1日、池田信(いけだあきら)さん撮影 毎日新聞社刊「1960年代の東京」158―159ページ掲載

高架になる前の聖蹟桜ヶ丘駅(昭和39年頃)、篠崎勝一郎氏撮影

高架になる前の聖蹟桜ヶ丘駅(昭和39年頃)、篠崎勝一郎氏撮影

OCHANOMIZU, TOKYO(1868)

Ochanomizu in It could just as easily be somewhere in Vietnam or Nepal. - Tokyo From The Inside

多摩ニュータウン 歴史資料館 - Google 検索

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都電の走るのんびりとした目黒通り 現、庭園美術館の前、割烹「柳生」の前を行く都電。その「柳生」も、間もなくマンションに変わった。左側の石垣の一部は現在も存続している。  所在地:東京都庭園美術館前(白金台3丁目)  撮影年月日:昭和41年(1966年)5月

都電の走るのんびりとした目黒通り 現、庭園美術館の前、割烹「柳生」の前を行く都電。その「柳生」も、間もなくマンションに変わった。左側の石垣の一部は現在も存続している。 所在地:東京都庭園美術館前(白金台3丁目) 撮影年月日:昭和41年(1966年)5月

右手に工場が見える、東寺方の風景(昭和41年)、新倉勇造氏撮影

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