カワサキのレース創成期の主役 山本隆 - 雑感日記

★昨日は、NPO The Good Times の理事会だった。 山本隆君がこんなレースの旧い写真をいっぱい持ってやってきた。 そんな写真の中から、私にとっても懐かしい写真の何枚かをご紹介して、その想い出を語ってみたい。 ●カワサキのレースのスタートは、 1963(...

66 Suzuka T20

人もマシンもビンテージ!ブログ : 久保和夫選手

RSタイチの社長(吉村太一)も昔はすごかったんです!!

RSタイチの社長(吉村太一)も昔はすごかったんです!!

RC335C日本GP

Honda

Honda初のレースマシン「RC335C」を42年ぶりに復元。マシンの歴史や復元にまつわるストーリーなどをお届けします。

吉村太一&RC250M 初優勝

Honda

Honda初のレースマシン「RC335C」を42年ぶりに復元。マシンの歴史や復元にまつわるストーリーなどをお届けします。

RC335C日本GP

Honda

Honda初のレースマシン「RC335C」を42年ぶりに復元。マシンの歴史や復元にまつわるストーリーなどをお届けします。

2013.3.2 マウンテンライダース50周年パーティー

吉村太一:二輪文化を伝える会

後列向って左側から、上野広一選手、忠さん、田中隆造選手、そして・・  太一選手

吉村太一。1946年、大阪府生まれ。学生時代から数多くのオフロードレースに参戦してきた実績を認められ、66年スズキとライダー契約。67年にモトクロス全日本選手権125ccクラス、70年の選手権では 125ccと250ccの両クラスにおいてシ...

1970年 MFJ全日本MX セニア125cc、250ccチャンピオン

吉村太一。1946年、大阪府生まれ。学生時代から数多くのオフロードレースに参戦してきた実績を認められ、66年スズキとライダー契約。67年にモトクロス全日本選手権125ccクラス、70年の選手権では 125ccと250ccの両クラスにおいてシ...


その他のアイデア
加古川河川敷で何かの撮影時のワンシーンです、黒革ツナギ歳森、真ん中コンバットヘルの星野、そして木の実マークの私です。

これも加古川河川敷MXコースでの珍しい練習時シーンです!コンバットの岡部も入ってます、後ろのトラックはプリンスクリッパーです、ノンスリップデフが標準装備でした、その後ろが私のスバル360オーバートップ(3X2)テクニカルトランスミッション!付き車です、新車で買いました(笑)

当時よく走った加古川の河川敷で、星野、歳森と雑誌の写真撮りシーン。  60おじさん!日記 | 全日本選手権 思い出の名場面!

9月2日に鈴鹿サーキット50周年記念パーティに行きます、だからという訳ではないですが、写真を整理していたら、昔懐かしいのが色々出てきました! 勿論、私はミスター モトクロスと言うくらいですから、MX関連が大多数ですが、その他貴重な写真も少し...

1967年MFJ全日本選手権認定ランキング表彰式  左からカワ販東京事務所の、下原氏次はMFJ会長の告野端午氏、そしてモトクロスチャンピオンの山本隆、次は確かロードで活躍した村上力、星野一義、歳森康師、そしてカワ販大井部長です、カワサキ集合でした。

1967年MFJ全日本選手権認定ランキング表彰式 1967年MFJ全日本選手権認定ランキング表彰式 左からカワ販東京事務所の、下原氏次はMFJ会長の告野端午氏、そしてモトクロスチャンピオンの山本隆、次は確かロードで活躍した村上力、星野一義、歳森康師、そしてカワ販大井部長です、カワサキ集合でした。

1967年MFJ全日本選手権岡山大会での山本隆さん  隣にいるのが星野一義さん  二輪文化を伝える会・ブログ: 1960年代 第1次モトクロスブーム

時代は浅間の頃に戻って・・・。 「 モトクロス黄金時代 」(八重洲出版)から。 第1回の浅間高原レースが1955年(昭和30年)、第1回の全日本クラブマンレース(浅間)が1958年(昭和33年)。 その翌年の1959年(昭和34年)4月に大阪・信太山(しのだやま)特設...

1969年星野氏とスタート前

1969年星野氏とスタート前

1965(昭和40年)4月、 MCFAJ 全日本の朝霧大会の時のメンバーである。  20番台のゼッケンが契約ライダーたちである。  右から梅津、岡部、山本、歳森、三橋、安良岡、   54番が星野一義だが多分未だこの時は契約はしていないがカワサキコンバットのチーム員だったのである。カワサキコンバットは三橋実が主宰し、毎月運営費契約で、全国の有望ライダーを育成していたのである。星野以下は、野島、堀、三橋弟。

1965(昭和40年)4月、 MCFAJ 全日本の朝霧大会の時のメンバーである。 20番台のゼッケンが契約ライダーたちである。 右から梅津、岡部、山本、歳森、三橋、安良岡、 54番が星野一義だが多分未だこの時は契約はしていないがカワサキコンバットのチーム員だったのである。カワサキコンバットは三橋実が主宰し、毎月運営費契約で、全国の有望ライダーを育成していたのである。星野以下は、野島、堀、三橋弟。 山本隆、歳森康師の二人は神戸木の実クラブ所属であった。 この大会で、星野は90ccノ―ビス で優勝を果たしている。

SP 忠男 オリジナルマフラー直販公式サイト|SP 忠男の歴史

SP 忠男のオリジナルマフラー直販公式サイトのSP忠男の歴史ページです。忠さんこと本名:鈴木忠男(代表取締役)は根っからのオートバイ好き。今でも仕事と遊びでバイクに乗りまくっている。情熱的な社長の心意気をご覧ください。

先週に続いて68年第5回日本モトクロスGPの名場面です。90ccクラスの序盤シーン、ヨーロッパ土産のクロムウエルヘルメットにGP-MXピークと流行の風防めがねをセットし先頭を走るカワサキ山本隆、同じく星野和義、スズキ吉村太一、やや空いて同じく木村夏也と繫がっている。  60おじさん!日記 | 全日本選手権 思い出の名場面!

先週に続いて68年第5回日本モトクロスGPの名場面です。90ccクラスの序盤シーン、ヨーロッパ土産のクロムウエルヘルメットにGP-MXピークと流行の風防めがねをセットし先頭を走るカワサキ山本隆、同じく星野和義、スズキ吉村太一、やや空いて同じく木村夏也と繫がっている。 60おじさん!日記 | 全日本選手権 思い出の名場面!

鈴木忠さんと山本隆

鈴木忠さんと山本隆

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