Honda Riders (1959 The Isle of Man TT) (from left) Junzo Suzuki, Naomi Taniguchi, Giichi Suzuki, Teisuke Tanaka

Honda Riders The Isle of Man TT) (from left) Junzo Suzuki, Naomi Taniguchi, Giichi Suzuki, Teisuke Tanaka

前列左:島崎貞夫、右:秋山邦彦 後列左より:?・鈴木義一・佐藤進・小沢三郎・福田貞夫・ 水沼正二・宇田勝俊・谷口尚巳・本田宗一郎社長

前列左:島崎貞夫、右:秋山邦彦 後列左より:?・鈴木義一・佐藤進・小沢三郎・福田貞夫・ 水沼正二・宇田勝俊・谷口尚巳・本田宗一郎社長

スパ - ソフィア - リェージュ・ラリー(Marathon Spa-Sophia-Liege Rally)に2台のスポーツ500が参加

スパ - ソフィア - リェージュ・ラリー(Marathon Spa-Sophia-Liege Rally)に2台のスポーツ500が参加

第2回の浅間火山レース(1957年)では、350ccクラスに優勝した。車はホンダC-75Z 305cc―このレースでベールをぬいだ。OHCツインのエンジンを積んでいた。

第2回の浅間火山レース(1957年)では、350ccクラスに優勝した。車はホンダC-75Z 305cc―このレースでベールをぬいだ。OHCツインのエンジンを積んでいた。

写真:55年浅間高原レース終了後のライダー達 前列左より 大村美樹夫、本田宗一郎、工藤義人(技術部部長)、中村武夫、谷口尚己の各氏 後列左より 鈴木義一、佐藤市郎、鈴木淳三、高橋邦良の各氏 このうち、スピードクラブのライダーとなったのは義一さん、淳三さん、谷口さんの3名でした。

写真:55年浅間高原レース終了後のライダー達 前列左より 大村美樹夫、本田宗一郎、工藤義人(技術部部長)、中村武夫、谷口尚己の各氏 後列左より 鈴木義一、佐藤市郎、鈴木淳三、高橋邦良の各氏 このうち、スピードクラブのライダーとなったのは義一さん、淳三さん、谷口さんの3名でした。

1959年の浅間のレース当日、あるいはその前の練習のため、宿舎を出発する際に出場選手を順繰りに撮影していったもののうちの一つであったようですね。

1959年の浅間のレース当日、あるいはその前の練習のため、宿舎を出発する際に出場選手を順繰りに撮影していったもののうちの一つであったようですね。

翌1960年もホンダ・チームはマン島に遠征し、彼もそのチーム・ライダーの一員であった。

翌1960年もホンダ・チームはマン島に遠征し、彼もそのチーム・ライダーの一員であった。

最後の浅間レース(1959年)終了後の記念撮影。後列右から二人目が鈴木選手である。この年のレースには、マン島帰りの125ccと、ようやく完成した250cc4気筒マシンを出場させて、両クラスに圧勝した。

最後の浅間レース(1959年)終了後の記念撮影。後列右から二人目が鈴木選手である。この年のレースには、マン島帰りの125ccと、ようやく完成した250cc4気筒マシンを出場させて、両クラスに圧勝した。

写真:59年浅間火山レースライトクラス表彰式 左より 田中健二郎(2位)、島崎貞夫(優勝)、鈴木義一(3位)の各氏

写真:59年浅間火山レースライトクラス表彰式 左より 田中健二郎(2位)、島崎貞夫(優勝)、鈴木義一(3位)の各氏

8月30日、AP電。「日本のレーシング・ドライバー鈴木義一は、8月27日、古我信生と共にスパ・ソフィア・リエージュマラソン・ラリーに出場した。翌日鈴木義一は、ユーゴスラビア国内を走行中に死亡した」。写真は、スパをスタート直前、愛車ホンダ・スポーツ500の前で撮影したものである。

8月30日、AP電。「日本のレーシング・ドライバー鈴木義一は、8月27日、古我信生と共にスパ・ソフィア・リエージュマラソン・ラリーに出場した。翌日鈴木義一は、ユーゴスラビア国内を走行中に死亡した」。写真は、スパをスタート直前、愛車ホンダ・スポーツ500の前で撮影したものである。

1959年、マン島初遠征。宿舎のラムゼイ・ナースリイ・ホテルの中庭にて。中央の鈴木選手をはさんで左に、谷口尚己、田中禎助、一人おいて、飯田孝佳、右へ鈴木淳三、ビル・ハント、河島喜好、関口久一の諸氏。

1959年、マン島初遠征。宿舎のラムゼイ・ナースリイ・ホテルの中庭にて。中央の鈴木選手をはさんで左に、谷口尚己、田中禎助、一人おいて、飯田孝佳、右へ鈴木淳三、ビル・ハント、河島喜好、関口久一の諸氏。

“遺影を抱いて”。マン島遠征チームのライダーとして決定していた秋山邦彦は、本田社長の伝記映画“妻の勲章”の撮影協力中、不慮の事故で死亡した。親友の遺影を抱いて走った各ライダー。右からニ人目が鈴木義一選手。

“遺影を抱いて”。マン島遠征チームのライダーとして決定していた秋山邦彦は、本田社長の伝記映画“妻の勲章”の撮影協力中、不慮の事故で死亡した。親友の遺影を抱いて走った各ライダー。右からニ人目が鈴木義一選手。

TTレース 125ccスタート前のひととき。練習中に右手を負傷し出場を危ぶまれたが、友人とかコミッション・ドクターのOKをとり走った。レース結果は7位であったが、6位の谷口尚己、鈴木淳三(11位)と共にチーム優勝を遂げた。

TTレース 125ccスタート前のひととき。練習中に右手を負傷し出場を危ぶまれたが、友人とかコミッション・ドクターのOKをとり走った。レース結果は7位であったが、6位の谷口尚己、鈴木淳三(11位)と共にチーム優勝を遂げた。

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